対談「ターザン山本×闘道館 館長」1. 20年目の自己紹介

対談「ターザン山本×闘道館 館長」1. 20年目の自己紹介

闘道館20周年記念特別対談

ターザン山本×闘道館館長 目次

  1. 20年目の自己紹介
  2. パワーオブドリーム
  3. 進路は東へ
  4. 1万人に1人
  5. 格闘空手 大道塾
  6. チケット取得代行業
  7. ブックオフ早稲田
  8. 帝国データバンク
  9. 帝国"人材"バンク
  10. 我流の「道」
  11. 決断
  12. 古本仕入れの旅
  13. 闘道館オープン
  14. ターザン山本
  15. 深化する"業態"
  16. ブッチャー&マスカラス列伝
  17. 格闘文化の継承
  18. 二度の移転
  19. スタッフたちと
  20. 未来(最終回)

1.20年目の自己紹介

闘道館館長 泉高志(以下、館長):今日はご足労いただきありがとうございます。
闘道館は今月20周年ということで、ターザン先生と闘道館の歴史を振り返りたいと思いました。
先生は闘道館の最高顧問として立ち上げの20年前からずっとお付き合いさせていただいて、闘道館をみてきて、また要所要所でいろんな思い出に残るイベントをやってきていただきましたから。

ターザン山本:パチパチパチ。オレ、最高顧問だったっけ?まあ名誉顧問とは言えるよね。
でも確かにこの20年、いろんなことがあったね。

館長:で、昨夜改めて先生と何を話そうか考えたときに、闘道館のこの20年もそうなんですが、せっかくならもっと掘り下げて、私自身の人生もこの機会に振り返ってみたいと思ったんです。

25才で闘道館を立ち上げ20年館長を続けてきたので、前田日明が「UWFのどこを切ってもオレの血が流れている」と言ったのと同じように、私も「闘道館のどこを切っても自分の血が流れている」って言えるなと(笑)

だからまず自分自身のことを振り返ることが、闘道館という店の成り立ちをより深く伝えることができるんじゃないかなと。

ターザン山本:そのとおり!とってもいいことです。
  
館長:そもそも、なぜ私は大阪から東京に出てきたのか?なぜ一度就職したのか?そしてどういう経緯で闘道館をはじめたのか?
私・泉高志がどういう人間なのかを20年経って今更ではあるんですが、一度しっかり振り返り自己紹介しておきたいと思いました。
今までは極私的な自分のことなんてと、詳しいことは一度も公で話したことなかったんですが、こういう機会にでも話しておかないと一生、残さないまま死ぬんだろうなとも思ったんで。
人間、いつ死ぬかホントわかんないですし。

ターザン山本:非常にそれは大事なこと、モーストインポータントなことですよ!
自分のことを振り返るのは重要なんですよ、自分のことを外の世界にアウトプットすることは、それは一つの表現なんで、世界との関係性がよく自覚できるのでいいんですよ。いままであったことが反省できるし、これから何をすべきかも明確になってくるんです。
そしてなにより、自分の生まれた故郷、あるいは両親を捨て去るということはとても大事なことなんです。

館長:先生はいつもそれ、おっしゃってますね。

ターザン山本:いつも言ってる。厳しい言い方をすると、家族、両親、故郷を捨てないことには自我が目覚めないよと。人生はじまらないと。両親の引力は強いからね。人生が縮小されちゃう。空間を離れないと。
ボクの場合は山口からまず立命館大学の京都。そして東京へ。ホップステップという感じだね。

館長:そうですね。私の場合もまさに「東京」に出たのは人生の大転換でした。それを先生に聞いてもらい、一緒に振り返るというのは個人的にすごい贅沢なことなんです。

ターザン山本:なんでボクとなんですか?

館長:はじめて知り合ったプロレス関係者がターザン山本であり、その後20年ずっとお付き合い続けさせていただいてきた。

ターザン山本:初めて出会ったとき、館長は水道橋の後楽園ホールへいく橋のたもとで、ビラを配っていたんだよね。

館長:うわあ、ターザン山本だ!とおもってチラシを渡したら、「闘道館?これは名前が悪いなあ。オレがもっといい名前考えてあげるよ」って。
 おぉお、出会っていきなり名付け親になってくれるのか、すげぇ人だなって思いました(笑)

ターザン山本:当時はそう思ったんだよね。闘道館って漢字3つじゃないですか。当時は洒落た外来語じゃないとダメだと。これは厳しいかなと思ったんです。

館長:はい。「カタカナじゃないと」とおっしゃってましたね。

ターザン山本:でも今では「鬼滅の刃」とか、世の中、漢字ばっかりじゃない。だから今考えると館長は時代の先を読んでたんだね。

館長:いやいや(苦笑)、私の中では闘道館はこだわってこだわって考えた自信作の名前だったんですね。
最初、喫茶店で本を読むとこだから、「格闘技の本を読む館(やかた)」ということで「格闘書館」でどうだろうって考えたんですが、なんか読みにくいし、四字熟語みたいだし、しっくりこない。
1ヶ月以上毎日考えて、あるとき闘魂の「闘」に王道の「道」で闘道館! しかも「極真館」や「講道館」に負けない強そうな名前だと(笑)プロレス的であり、格闘技的でもあり、最高だと。

すごいいい名前ができたと勝手に自惚れてたんですが、やっぱりプロ(ターザン山本)がみるとダメなものはダメ。こちらのこだわりは関係なく、遠慮なくバサッと斬るんだなあと関心したんです。「こんなのカタくて流行らないよ!」と。 まあ、私は武道(大道塾)の世界で育った人間なんで発想が基本、カタいんですよね。

ターザン山本:カタい。でも後で気づいたんです。猪木さんの「闘魂」と「道」から引っ張ってきているのが。そして、「とう」「どう」と続けて濁音になってるのがまたいいんです。リズムよくビシッと力強くしまっている。後付けになっちゃたけど、すごくいい名前だったなと。

館長:そういう路上での出会いがあって、その直後、先生がはじめたプロレスライター養成講座「一揆塾」に入門し、お店にきていただきトークライブをしてもらい、その後20年お付き合い続けさせて頂いてる。
だから、闘道館の歴史を振り返るなら、ターザン先生と振り返りたいなと。

ターザン山本:よく一揆塾にきましたね。

館長:タイミングと縁でしたね。2001年3月23日に闘道館をオープンして、その一ヶ月後に一揆塾のプレ講座が始まり、名前がダメって言われたのに言いっぱなしで考えてくれないんだったら、こっちから乗り込んでいこうって。
オープン当時は朝11時~夜11時まで年中無休の12時間営業。それを泰代(妻)と二人だけで回してたので、なかなか外に出る機会もなくなっていて。金銭的にも立ち上げで貯金をほぼ使い果たしかけていて、自分の人生のなかで、一番苦しかった時期だったんですが。
でも毎週木曜夜の先生の講義に渋谷にいくのが楽しみでした。私はプロレスマニアではなかったので、ここでプロレス学を学びたいなと。そしたらプロレス以外のいろんな広がりがあること、人生論や社会の見方、自分の感性を磨いて生きる大切さを教えていただき、自分の生き方にも自信がつきました。

ターザン山本:え、自信がつきましたか?

館長:ハハハ。世間からみれば、脱サラしてプロレスの喫茶店をはじめるなんて、ドマイナーでどうしようもない偏屈な生き方に見えるだろうけど、ターザン山本の論法をあてはめると、これは誰よりも個の生き方を大切にして組織や田舎の家族にも支配されない理想的な生き方ということになるし(笑)、これまでもそういう選択をし続けてきた必然的な結果が今なんだと、思いっきり自己肯定できました。
一揆の「一」とは、「一人」であり、同時に「すべて」という意味もある、それを「揆」で爆発させて生きるんだと。

ターザン山本:そうそうそう。この「一」というのは今は「個」の時代なんだよね。「個」というものが最初にあって、「個」から「すべて」がはじまるのであって、「個」が「すべて」という状態。
それがビッグバンみたいに爆発していくと。個というのは半径5メートルの小さな世界なんだけどね。だけどそこに宇宙全部がつまってるというさ。

館長:一人で全部背負って決断していかなきゃいけない。その世界観を松尾芭蕉の俳句や歌川広重の浮世絵を例に出してアカデミックに説明されるから、すごく知的好奇心をくすぐられました。

また都会論もおもしろかったです。「都会とは地下鉄が走ってるとこ!」ってシンプルにわかりやすく定義されて。地下を掘って活用しないといけないくらい人が多くて土地が足りないのが都会。そこに出てこないと人生ははじまらないんだとおしゃってました。

ターザン山本:別に田舎を否定してるわけじゃないよ。しかし人間がダイナミックに活動して生きていく場は都会だと。人々が何かを求めて集まってくる場であると。それが混じり合って新しいものを生みだすんです。人が集まってくれば地下にもほって、道をつくると。

館長:地上だけでは足りないから。超密な世界ですね。

ターザン山本:都会とは人が集まるところ、必然的に密なんです。文明そのものが密でできていると言えるんです。

館長:私は大阪出身で、大阪は当然地下鉄もある都会だったんですけど、、、それでも東京に出なきゃって触発された出来事があったんです。。。

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