1980年01月02日&01月03日 後楽園ホール 年代: 1980
¥33,000 状態: 【並上】 8つ折り / 押しピン跡あり
開幕戦:【東京スポーツ杯争奪ヘビー級バトルロイヤル】ジャイアント馬場、ブルーザー・ブロディ、ジャンボ鶴田、ビル・ロビンソン、タイガー戸口、アンジェロ・モスカ、天龍源一郎、ダッチ・マンテル、グレート小鹿、ジェリー・ノバック、大熊元司、ビル・アーウィン、ロッキー羽田 / 第2戦:【インターナショナル・タッグ選手権 60分3本勝負】ジャイアント馬場&ジャンボ鶴田vsブルーザー・ブロディ&アンジェロ・モスカ / 80年代のスタートを切って、恒例の新春ジャイアント・シリーズが開幕。幕開けにふさわしい豪華メンバーが揃った。開幕戦では13人参加のバトルロイヤルが行われ、ビル・ロビンソンが天龍を押さえ込み優勝、東京スポーツ杯と賞金100万円を獲得した。第2戦のメインでは、馬場&猪木組が保持するインタータッグのタイトルにブロディ&モスカの"ダブル・キングコング"が挑戦した。勝負は3本目までもつれ込み、最後は両軍リングアウトによりドロー。馬場・鶴田組がタイトル初防衛に成功した。/ サイズ(76cm×53cm) |
サイズ(62cm×47cm) 年代: 1909
¥33,000 状態: 【並上】 4つ折り/折れ跡と経年劣化あり
1909年06月05日~14日 両國元町常設館(本所元町國技舘) / 【東】横綱:常陸山 大関:駒ヶ嶽 関脇:西ノ海 / 【西】横綱:梅ヶ谷 大関:太刀山 張出大関:國見山 関脇:玉椿 / 明治20年代初めから、「興行が安定して開催できる相撲常設館が必要である」という意見が出たため、常設館建設に動くことになった。竣工当初の名称は「尚武舘」が有力な候補となっていたが、大の相撲好きだった作家の江見水蔭が開館式のために起草した一文「角力は日本の國技なり」を見た三代尾車はこれに甚く感じるところがあり、土壇場になって名称に「國技舘」を提案した。開館式は空前の盛会となり、設立委員会の委員長を務める板垣退助が「國技舘」と命名されたことを高らかに宣言すると会場は万雷の拍手に包まれ、相撲は"神事"から"国技"へと変貌を遂げた。命名が最後までずれ込んだため番付表には「両國元町常設館」と記載されているが、翌年1月場所の番付表で初めて「本所元町國技舘」の名称が記された。なお先代は現在の国技館とは異なり、京葉道路沿いの本所回向院の境内にあった。 |
1974年09月25日 横浜市文化体育館 年代: 1976
¥27,500 状態: 【良】 8つ折り/ダメージ少々あり(裏面のテープ跡含む)
★74ジャイアント・シリーズ★ / 【タッグマッチ45分3本勝負】ザ・デストロイヤー&グレート小鹿vsザ・アベンジャー&ブルー・デビル / ジャンボ鶴田vsオットー・マンハイム / PWFヘビー級のタイトルを賭け、馬場とブッチャーが3本勝負で激突!1本目をブッチャー、2本目を馬場が制し迎えた3本目は、ブッチャーのセコンドであるアベンジャーが場外から馬場を攻撃したことからデストロイヤーや鶴田ら日本勢も乱入する乱闘に発展、両者反則のドローとなり馬場がタイトル18度目の防衛に成功した。/ サイズ(75cm×52cm) / ※対戦カード記載部分はポスター上から貼り付けた仕様となっています。 |