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闘道館20周年記念特別対談
ターザン山本×闘道館館長
⑰格闘文化の継承
館長:百田さんからは、きっかけは確か「なんでも鑑定団」で私が鑑定してるとこを見てもらったか、初代タイガーマスクの実使用マスクを初めて扱ったときに広告出したの見られたか、どっちかで、声かけてもらったんだった気がするんですが。
力道山時代のいろんな百田家の家宝。力道山が実際に受賞し自宅に飾ってたトロフィーをいろいろ扱わせてもらって。
何度か茨城のご自宅まで伺って、話を聞かせていただき、いろんな力道山が巻いたベルトとかも見させていただいたんですが。
▲力道山関連トロフィーの数々を百田家の庭で百田光雄さんと鑑定
あれは、本当に日本のマット界の黎明期の至宝ばっかりだったんで、すごく光栄でしたね。
こういうプロレスの古物を生業にして生きてるものとして、これ以上のものって他にあるだろうかってくらい、自分がこういうモノを扱わせていただく役割が巡ってきたことに、責任を感じたと言うか。
これぞ時代を超えて残さなきゃいけないものって、感じのお宝だったんで。
トロフィー類の他にも、力道山が亡くなるまで所持していたパスポートとか。そこには田中敬子さんと世界一周のハネムーンをしたときの各国のスタンプが押してあったりとか。
▲力道山のパスポート広告(2012年)
▲毎日新聞杯の広告(2010年)
遺品を整理することに対して、抵抗ある人もいるかと思います。
なんで売ってしまうんだとか言う方も中にはいます。でも、それぞれ各家庭に様々な事情があるんです。
ずっとお宝を保管し続けることは大変なエネルギーが必要です。それを個人が永久的に管理し続けるのはどこかで無理がでてくることもあります。
そのときは他に大事にしてもらえる方に届けることは、意義のあることだと考えています。
百田家から、いろんなものを、買い取らせていただいて。
回を重ねるごとにすごい金額になっちゃったんで、
光雄さんの奥さんから、
「こんだけ貢献してくれてるんやから、あんたの名前、お父ちゃん(力道山)のお墓にある胸像に掘ったる。これは末代まで、名前が刻まれるいうことやから。意味ちゃんと理解してや」って。
ボクの名前なんか、プロレスファンはピンとこないし、恐れ多いとも思ったんですが、でもせっかくの話なんで。
「もし名前入れていただけるんであれば、私の名前じゃなくて、闘道館と入れていただけるとありがたいです」って頼んだら。
「わかった闘道館 泉高志って入れる。そのかわり、店潰しなや。潰れた店の名前、入れたらお父ちゃんに悪いから」って言って頂いて。
すごいところからプレッシャーかけていただいたというか(苦笑)
▲池上本門時の力道山胸像
そしたら、
梶原一騎、真樹日佐夫、 天龍源一郎、 秋山準とならんで、闘道館 泉高志って。
本当に入れてもらって。
ターザン山本:あった。見た!
▲台座に名前を入れて頂く
館長:実際にみてみると、、いやあ、これはさすがにバランスおかしいだろって。やっぱり恐れ多いなとも思ったんですが。
でも力道山のお墓は、マット界の聖地なので、そこに名前を入れてもらったことは、光雄夫妻が言われたように、マット界に自分たちなりの役割を果たして行くんだという、そういう志を授けられたんだと受け取ってます。
▲力道山命日にお墓参り
まあそうやって、いろいろなものを扱わせていただいた中で、
力道山のワールド大リーグ戦の初代の優勝トロフィーがあって。
当時、日本中を熱狂させたタイトルの象徴だったんですが、それを百田家から譲り受けて、税込で525万で販売してたんです。
闘道館でいままでつけた中での最高額なんですが、それを地方のお客さん、年に一度くらいきてくれる前からのお客さんだったんですけど。
で、確かゴールデンウィークくらいのときにジーっとそのトロフィーを見てて、そのときはそれで帰られて。
その後、一週間くらいして、電話がかかってきたんです。
「館長さん。眠れないんです」と。
「あなた、500万って値段つけてますけど、それって、ちょうど自分が一年間働いた年収と同じなんです。
でも、それはボクの感覚からすると、自分が一年働いた対価の値段で、これが手に入るとすると、その値段は安すぎると思うんだ。
歴史的な価値から考えて。そんな値段で普通に店に置いてて、まだ誰も手を上げないのはおかしい。誰も買わないんであれば、これだけ、その価値の重みをちゃんとわかってる自分がその役割として引き受けるべきなんじゃないか。
自分が買っても、それは家に置くわけだから、博物館のように展示するわけではないけども、百田さんがそうやって手放したんだったら、少なくても自分が生きてるうちは、この至宝を守ってやるぞっていう、そのぐらいの覚悟はあるんだと。そう考えてたら、眠れなくなっている。
だから、これは自分が死ぬまでは預かるつもりで、買わせてもらいたいけど、いいですか?」
って。
ターザン山本:うーん。凄いねえ。
▲初代ワールド大リーグ戦トロフィーの広告
館長:で、「あなたがやってる闘道館っていうのは役割があるじゃないですか?」と。
「ただお金持ちがレスラーのタニマチとして、お金を工面してあげる対価として、モノそのものには対して思い入れや理解もない人の手にわたって、ぞんざいに扱われて、いつのまにかどっかいっちゃうみたいなことになるんじゃなく、
プロレスを本当に好きな、それぞれ個人のファンが思い入れのあるものを大切に守っていく。
そのために、闘道館というお店はあるんじゃないですか」っていう主旨のことを言っていただいて。
ターザン山本:すごいドラマだね。。。
館長:あぁ、そうか。
闘道館の役割は「格闘文化の継承」なんだ。
プロレス・格闘技ファンみんなの交差点として、存在するんだなって。はじめて存在意義を確認できた気がしたんです。
たとえば子どもができて、それまで集めていたコレクションルームを空けなくちゃいけないとか、ずっとコレクションをしてきたお父さんが亡くなってとか、いろんあ理由で、行き場がなくなったコレクションを一度引き受けて、本当に欲しい人に届ける。
で、全国のディープなファンのみんなの力で、次の世代にモノを残してく、伝えていく。
それが、闘道館の「闘いの道」ということ。
また会社の名前、我流事典っていうのは、それまでは自分自身のビジネスのことだと思ってたんです。
自分のやりたいことを自分のやり方で事典のように、「あ」から「ん」までいっぱいやること生きてるうちに全部やろう、やり切ろうってことで、「我流事典」って名前にしたんですが。
この我流というのはお客さんのことでもあるんだと。
お客さんがそれぞれ、パンフレットだけずーっと集めてたり、ミル・マスカラスのマスクばっかり何百枚と集めてたり、プロレスのビデオばっかり集めてる人がいたり、レスラーのサインばっかり集めてる人がいたり。
でも、その突き詰めたものは、本当に日本一だろうっていえる人ばっかりなんです。その分野でいうと。それは学問の世界なんかとまったく一緒で。
でもそのやり方は明らかに我流というか、学校の教科のように決められた枠があって、集団で何か選手権をして誰が一番かを決めるようなものではなく、あくまでも「個」の、それぞれが好きなようにやって、その追及の力でモノが保存され受け継がれていくんだなと。
そういう「我流事典」って言葉の意味を、後から気づかせてもらったというか。
だから、闘道館が縦軸だとすれば、我流事典は横軸。
時間の流れが縦軸で、現代に生きる本当に好きなファンたちの広がりが横軸。
縦軸と横軸の交差点としてにうちの店は今、存在してるんだなと。
これこそが、闘道館が業界のなかで一つ役割があるとすればこれなんだと腹にストンと落ちました。
ターザン山本:うーん。いろいろ教えられるんだね。ビジネスをやっていくとそうなるんですよ。教えられることが多いわけですよ。
館長:お客さんから。
ターザン山本:お客さんから教えられるんだよ!こっちが教えるものじゃないんです。ビジネスというものは。向こうから教えてくれるんですよ。それがマーケティングなんですよ。こちらが教えるものはないんです。
館長:こっちの考えることなんて、だいたいズレていますからね(苦笑)
ターザン山本:だいたい間違っている。
館長:それをお客さんに教えてもらいながら、修正していくというか。鍛えられるというか。
ターザン山本:だね。だから闘道館は全国のプロレスファンのステーションなんですよ。駅なんです。そこに来て、去って行って、また必要なときにくるという。ステーションが充実していたら、また来るんです。
館長:そうやって、9年10年11年ってっ経っていったときに、お客さんやレスラーだけじゃなく、立退きの話まできちゃうんですね(苦笑)
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