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闘道館20周年記念特別対談~ターザン山本×闘道館館長~ 第4回

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闘道館20周年記念特別対談
ターザン山本×闘道館館長

④「1万人に1人

ターザン山本:あのね。。。館長はね、ボクと一緒だったんですよ。

館長:えっ(笑) まさかのターザン山本と一緒!?ですか?(笑)

ターザン山本:ボクは中学高校時代に6年間、バスケットボールをずっとやってたんです。
だから勉強なんかできないわけですよ。徹底的に運動やってたから。授業なんて寝てるようなもんですよ。
でもボクは大学へ行きたいと。家庭的には大学行けるような経済状況や地位じゃないわけですよ。
親父もお袋も貧しかったから。兄弟も4人いたから。ボクの兄弟他3人は大学なんて行ってないんですよ。
大学に行ける状況ではなかったんだけど、たまたまボクは成績がよく、親の期待も高かった。
それで7月1日にバスケットのインターハイがあって、そこで決勝までいて、、

館長:決勝までいったんですか!強かったんですねえ。

ターザン山本:そこで運よく、決勝で負けたわけですよ。
負けてよかったなと。
そっからやっと勉強できる。ここから勉強しなきゃいけない。
取り返さなければいけないので。7、8、9、10、11、12と半年間。徹底的に勉強して大学通ってやろうと思って。

館長:切り替えたわけですね。


ターザン山本:で、家にいたら勉強できないと思って。小っさな家で兄弟もいっぱいいるので。学校の近くに下宿させてもらったんよ。

館長:おぉお。そうだったんですね。勉強にしゅうちゅうするために。

ターザン山本:それは未亡人のおばちゃんがやっていて、食事も作ってくれるわけですよ。半年間。
その下宿先の家で勉強する、図書館で勉強する。徹底的にやったわけですよ。

ターザン山本:バスケットから勉強にシフトしたわけです。そして下宿というのが成功の元だったわけです。

館長:うんうん。環境をつくるのが大事ですよね。

ターザン山本:で館長の立命館と一緒で、オレはまず博多の西南学園というキリスト教大学と小倉の公立の北九州大学、2つ受かって。
3つ目に京都の立命館。立命館は受験が広島で受けれたんです。

本当は早稲田に行きたかったんだけど、授業料がさすがに高くて諦めた。12万いくらとか。立命はその半分の6万だったので。

館長:え、年6万ってそんな安かったんですか。12万でも安く感じます。

ターザン山本:館長。。。ボクはもうすぐ75才。もう60年も前の話ですよぉ。

館長:あぁそうか、すみません。高度経済成長がはじまったばかりの頃の話でしたね。

ターザン山本:物価の違う、大昔の話ですよお。まだ誰も生まれていませんよおぉぉ~。

館長:いやいや(苦笑)先生の高校時代ですから、たくさん生まれてます(笑)

ターザン山本:これを読む人はほとんど生まれてない。
で、立命館を通るにはといろいろ研究したら、ボクは文学部なんです。
で、そのなかでも中国文学が一番低いわけですよ点数が。

館長:へえ、先生も戦略を立てたんですねえ

ターザン山本:そう。通ることを確定させるために、通りやすいところを受けて。
まあ、ボクは中国文学好きだったこともあった。杜甫とか、詩が好きだったんで、ちょうどよくて。
それで受けたらやっぱり通ったわけですよ。
そのときに両親は山口県岩国から近い、小倉か博多に行ってほしいと。家から近いから。
でも最大の望みは国立に行ったらお金かからないから、広島大学か山口大学に行ってほしいと。
でも広島か山口っていったら、オレ、故郷から抜け出せないんですよ。
だから親をだまして、わざと落ちるように国立は受けたわけすよ。

館長:へぇ~、親にはちゃんとやれることはやったぞとみせるために(笑)

ターザン山本:国立は一応試験は受けるけれども、落ちるようにやったわけです。確かに(難易度的にも)厳しかったけれどもそもそも通らないようにしながら、受けたから、スベッたわけです。
で立命館は通ったけれども、親は九州の方に行ってほしいということだったんで。
若い担任の先生をまず説得して家につれてきて、その上で、「この子の将来を考えたら、絶対京都に行った方がためになるから」と先生から両親を説得してもらったんよ。
全部、ボクは戦略的にやったんですよ。
一緒ですよ。館長とまったく同じですよ。

館長:そうですね。私も早稲田というブランドに興味があったわけではなくて、
家を抜け出して東京に出る手段、親を説得する手段として大学受験があったんです。

ターザン山本:そうです。親から抜け出したい、逃亡したい、自由になりたい。
そういう故郷から離れたいとうことではまったく一緒ですよ。
それが、「個」が成立するための第一条件なんですよ。
誰にとってもね。だけど日本の社会は親子関係は大事だから。
やっぱりみなさんは故郷で、両親の近くに住みながらというスタイルをとるんですが。
オレは個としての自分を、この世に生まれた以上は、オレはオレの人生を生きると、小さいときから思ってたんで。
一番重要な高校の時に、そういう決断をするために、何をしなければならないかということを、つまり親をだまさなければならないなということで、戦略的にやった。だから 一緒です。

館長:そうなんですね。確かに一緒でしたね(笑)

ターザン山本:一緒。だけど館長がそこまで計画的戦略的にやった人だったとは、思わなかった。
いまはじめて聴いてビックリしましたよ。
親に従うような大人しい性格かなとみてたんですが。

館長:まあ親を悲しませたくないなという折衷として、早稲田だったら喜んで送り出してくれるのかなと。

ターザン山本:それに館長がそんな大博打打ちだったこともはじめて知りましたよ。
性格的にそういう風にはみえないもん。

館長:自分のなかで、人生の最初の賭けでしたね。でも命とられるわけではない、たかが受験の話なんで(笑)そんな人にしゃべることではないかもですが。

ターザン山本:いや重要ですよ。そこで右にいくか左にいくかで人生がまるで変わるんだもん。

館長:まあ仮に受験せずそのまま推薦で立命いってたら、闘道館は絶対存在してないですからね。

ターザン山本:道が開けてないよ。己の人生は己でデザインしていく。個としての自分を。
そのためにはある意味では故郷とか両親とかは邪魔なんだよね。ハッキリいうとね。
そのデザイン感覚に忠実に生きると。突き進むと。それが自分の人生ですよ。
長渕さんが言ってる通りですよ。ボクの考えとまったく一緒だから。

館長:でもね。Captain of the shipを聴いて衝撃を受けたとき。
不思議だったんです。

こんな歌、世の中に出したら、そのエネルギーで日本は何かとんでもない革命が起こるんじゃないかと思ったんです。
でも私以外の周りは特に変わらない日常が続いている。

友達に「とにかくスゲえから、お前もちょっと聴いてみろや」って、ウォークマンで聴かせても、
「なんやもう歌とちゃうし、めっちゃ笑けてくんねんけど、ギャグかこれ?」とか、「同じことばっかり繰り返してるだけやんけ、長すぎて眠なるぞ」とか、
腹立つくらい反応が悪い(笑)

ターザン山本:だから、同じアジテーションでも、煽っても、届く人と届かない人がいるんです。
キャッチする人とキャッチしない人がいて、それは感性が、性格が違うからそうなるんですよ。

届く人は100人に1人ですよ。あるいは千人、1万人に1人ですよ。

本当に届くのは"1万人に1人"しかいない。断言できる!

でもそれを計算しないで長渕は言い続けているわけです。
それが長渕のいいところですよ。アジテーターの。誰か1人でも引っかかればいいやという考え方です。

館長:たった1人に伝わればいい。これも先生、よくおっしゃってますよね。 
深く刺すためには、多という面ではなく個という点に向けて放たなくてはならない。
これは闘道館をやっててもいつも感じます。
'1万人に1人’という全国の選ばれしコアなファンのプロレス愛、格闘技愛、コレクター道で闘道館は成立させてもらっている。

ターザン山本:何かを本気で伝えるにはディープに、垂直に、バシャーンといかなくちゃ、それを徹底的にやってはじめて(相手の心を)鷲掴みできる。
どうお店をデザインしていくかというのも同じことです。


▲3年前の2018年3月21日巣鴨移転オープンの日に
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