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闘道館20周年記念特別対談~ターザン山本×闘道館館長~ 第3回

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闘道館20周年記念特別対談
ターザン山本×闘道館館長

③「進路は東へ

ターザン山本:高校は、普通高校?進学校だったの?

館長:私立の関西大倉という男子校で、まあ一応進学校でしたね。茨木市の山奥にあるんですが。

で、受験の時期になって。
でもボクは学校のなかではまずまず真面目な優等生で、 歴史部でいろいろレポート書いたのが評価されたりしたこともあって、ターザン先生も通われた立命館大学から夏休み前に早々に指定校推薦をもらっていたんです。

だから、ほっとけば受験しなくても大学にいける。それも関関同立の一つと言われた立命館。当時の自分の学力的には普通に受験したらちょっと届かないんじゃないかなというくらいの難関度だったので、親は大喜びしているわけです。「よかったなあ」と。

で、高3の夏休みが終わって、9月10月と過ぎたときです。長渕剛さんの『Captain of the ship』という曲が世にでるんです。

長渕剛は中1の終わりにアルバム『昭和』がでてからはまっていて、毎日毎日欠かさず聴きまくっていたんですが、あるときご本人が出演されていたラジオ番組ではじめてこの曲が公開され、

♪デーンデデッデーン

って流れてきて、、、

この 『Captain of the ship』というアルバムタイトル曲は、13分以上ある長い曲なんですが、出だしで、
「ジメジメと暗く腐った憂鬱な人生を俺は憎んでばかりいた」ってはじまって、途中からもう歌を超えて、魂の切実な叫びそのものになっていく。生きることへの究極にストレートな訴えというか。。。
衝撃を受けました。

自分のそれまでの生き方に対し、そんなもんじゃねえだろ?って、強く自省させられるというか。
己自身の大切な一度きりの命を本気の本気で燃やしつくし、本当の闘いのステージに上がってこいと、触発させれられるというか。

『進路は東へ、明日からお前が舵をとれ』ってひたすらアジり続けられる。

聴いてるうちに涙もあふれてきました。このまま受験という荒波から逃げて、このまま推薦してくれた高校に頭をひしゃげて、実家から大学にかよって、好きなことを制限されたまま、まわりの管理下のまま、ジメジメとこれからもお前は生きていくのか?そんな人生でお前はいいのか?
  
03_Captain of the ship
ターザン山本:はあ、覚醒させられたんだ。まあ一種の洗脳というか。  

館長はい(笑)これは長渕剛がダメな自分へ投げかけた最後通告だと。
そして「進路は東へ」とアルバムジャケットで指さしているこの東とは、、、「東京」のことだ!
花の都・大東京で自分の人生を闘ってみろという暗喩のメッセージだと受け取りました(笑)

数日後、担任の先生に立命館推薦の辞退と親に「東京」に行くことを宣言しました。

ターザン山本:パチパチパチ

館長親に「卒業したら東京に行くことにする。立命の推薦はさっき断ってきた」といったら、最初は両親とも取り乱して「今すぐ 学校に 電話して謝れ、一緒に謝ったるから」って(苦笑)

でもずっと話し合ってるうちに私の決意がとても固いことを悟ったら、父親が「大学だけは頼むから行ってくれ」って弱気にお願いしてきたんです。
で、「どうしても東京行きたいんやったら、早稲田か慶応だったら金出したる」って条件をつけて。
確かに、ここまで育ててもらった親のことは好きだし、恩は感じてるし、どうせなら喜んでもらいたい。
でも自分の人生を行きたい。

その折衷として、早稲田か慶応かあ。難易度高いなあと思いつつ、ありがたい話だと思いなおし、自分でいろいろ調べたんです。
そしたら、早稲田に社会科学部というのがあって、他の学部より若干偏差値が低くてまだ入りやすい。
そして、社会科学部というのは、政治・経済・法律・商業など文系の全部を含めたなんでもありの総合学部だったんです。自分の興味が赴くまま幅広く授業をミックスさせて受けることができると。
これは、格闘技でいう打・投・極、全部合わせた総合格闘技と一緒じゃないかと(笑)

ターザン山本:ククク(笑)勝手に解釈したんだね(笑)

館長:ここしかないなと、目標が定まった。
ただあと4ヶ月で偏差値を10近く上げなきゃいけない。
普通にこのまま学校の授業受けてても絶対受からないなと。
めっちゃ勉強するしかない。
そのためには学校が邪魔だなと、思ったんです。

ターザン山本:うんうん。

館長:で、学校の先生に「本気で勉強したいんで、授業受けなくていいですか?」って、最初正面からぶっちゃけて相談したんです。
そしたら、「アホか!ええ訳ないやろ!出席日数足らんかったら、卒業させへんぞ。ちゃんと授業受けろ」
って、まあ当然ですよね。

でも当時の自分には、学校が自分が進もうとする道を邪魔する抵抗勢力に見えて(笑)
じゃあってことで、卒業するには何日必要か、で欠席日数のカウントの仕方とか調べたんです。
3時限目の終わりまで無断欠席していると、学校から 自宅に連絡がいくことも、たまに学校サボってた友だちから聞いて仕組みがわかった。
卒業するための最低ラインの出席を確保しつつ、最大限授業をサボる。自分で勉強するために。

だから学校行く日は、まず親にも心配かけないために、いつもどおりの時間に朝家を出て、電車で千里中央駅まで行く。だけどスクールバスには乗らず、そのまま駅直結のビジネスビルの休憩用ベンチに行くんです。
そこで数時間、英単語や日本史をひたすら暗記する。そして3限目の終わりに合わせて遅れて教室に入る。
4限目は自分の席で耳栓しながら勉強する。先生に対して半分ケンカ腰で授業をボイコットしてました。そして昼休みに学食を食べて、そのまま早退。最寄り駅の自習室に直行して、夜中まで勉強を続ける。
そんな生活をずっと続けたんです。

ターザン山本:何月から?

館長:10月の終わりからです。10、11、12、1、2月ですね。
2月末の卒業式も、出なかったですね。
わざと遅れていって、みんなは体育館で式典やってるなか、一人誰もいない教室で勉強しました。

ターザン山本卒業式もボイコットしたんだ。

館長卒業式が終わってみんな教室にぞろぞろ戻ってきたら、私がいたので、大ウケしてました。先生もバカ負けして呆れてましたね。

ターザン山本:そりゃまわりからしたら、お前何やってんだってなるよね(笑)

館長:早稲田の試験が遅かったんですね。卒業式の後に受験があった。
クラスの誰も私が早稲田を受けること知らなかったはずです。
東京の大学を受けるやつ誰もいなかったですし。
関西では受験シーズンほぼ終わってたので、まだ勉強してるコイツは何がしたいんだと、不思議だったと思います。

そしていよいよ3月に受験のために上京するんです。
長渕剛の「西新宿の親父の唄」って歌があって「やるならいましかねえ♪」ってことで(笑)、西新宿のホテルを自分でとりました。 受けるのは社学一つだけなんで、、、

ターザン山本:え、一つしか受けなかったの?それ、完全に背水の陣、一発勝負の大博打じゃない。館長、危ない橋渡るねえ。
 
館長なのでホテル代は1泊2日ですんで7000円でした。  
思い出横丁で晩飯食べて、チェックインしたら、2階の部屋だったんですが、真下の1階の道路が一晩中工事してたんです(笑)

ガン!ガン!ガン!ガン!ゴゴゴゴゴゴゴ!
うるさくて全然寝れない。「東京」をかけた一発勝負の大事な受験前日なのに(笑)

クソォ、寝れない、ヤバいと目だけ閉じて何時間も焦ったんですが、早朝だんだん明るくなってきて、ようやく静まったんですが、もう目が冴えちゃって寝ることは諦めて、逆にここでこんな試練があるなんて、なんとドラマチックなんだと、運命としてこの状況を受け入れる気持ちが強くなってきた。

一睡もしてないのに、めちゃくちゃポジティブになってきて、なぜか冷静に受験に挑めたんです。
人間、追い詰められると逆に開き直って強くなれると知れたというか。

結果は運良くというか、あそこまでやったんだから当然というか、合格することができました。
そうやって、「東京」への出場通知を手に入れたんです。94年の春のことです。

ターザン山本:。。。。。

館長:あれ?なんか、大丈夫でしたか(笑)こんな話。

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