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闘道館20周年記念特別対談~ターザン山本×闘道館館長~ 第02回

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闘道館20周年記念特別対談
ターザン山本×闘道館館長

②「パワーオブドリーム」

館長:私は昭和50年(1975)に大阪で生まれました。両親は二人とも大学教授の一人っ子だったんです。父親は経済統計学、母親は発達心理学の研究者で今思うとかなり変わり者の両親ではあったんですが、教養主義のカタい家庭だったんです。

ターザン山本:厳しいカタい家庭だと、しばりが多いじゃないですか。

館長:5才のころから、プロレス大好きだったんですけど、親は見せてくれないんです。親に見つかったら、テレビを消される。「こんな野蛮なもん、見たらアカン」と。
だから、隠れてコソコソプロレスを見ていた。隠れキリシタン状態。プロレスはコッソリ見るものという感覚でした。

ターザン山本:それはプロレス者の昔からの宿命ですね。偏見と闘う。世間と反対のことやってるから、居場所がないというか。
差別されたジャンルというか。

館長:でもどんなに禁止されても、プロレスがずっと大好きで。
 特に毎週土曜夕方5時からの全日本プロレスの時間は親が共働きで鍵っ子してたので、一人で見続けることができたんです。馬場対レイスのNWA戦の頃から。ジャンボ鶴田が最初のヒーローでした。

で、中1のときに前田日明さんの自伝「パワーオブドリーム」と出会うんです。
学校の遠足で、確か箕面に行ったんですが、つまんなくなって、一人抜け出しバックレて途中で帰ったことがあったんです。
 
パワーオブドリーム

ターザン山本:え、遠足バックレた!?パチパチパチ。館長、それは人生の才能ありますよ。
あのね、逃げるというのが一番重要なんです。逃げなきゃいけないんです。
一つの引力・重力から逃げないと自由になれない!人生のキーワードは「逃げる」ですから。

館長:ハハハ。心の非常ベルが鳴って、逃げ出したということですかね。で、バックレた帰りに気持ちがささくれ立ったまま、梅田の紀伊国屋書店に寄ると入口に文庫本「パワーオブドリーム」が平積みでブアーと置かれてたんです。

ターザン山本:ああ「パワーオブドリーム」、ボクの友だちが(ゴースト)ライターやったんだよね。

館長:で、手に取って読んだら、スッと心に入ってきて。
そこには中1の自分と同じように心が荒れていた前田さんの中高生の頃の話、大山倍達に憧れた話、太宰治や小林秀雄の文学の話、そして空手を習って喧嘩修行する話。
そういうことがいろいろ書かれていて前田さんの実体験を通して、リアルな男の思春期の世界にはじめてふれるというか。
その一冊をきっかけに、読書が大好きになってプチ文学青年になり古本屋めぐりが趣味になる。と同時に格闘技にもおもいっきりはまりました。
時代は第二次UWFがでてきて、総合格闘技がどうやってつくられていくのか、その過程をみれるということで、すごくワクワクしましたね。
レンタルビデオを借りてきて、技を何度も何度もスロー再生して研究してたので、あ、これはまだプロレスの範疇なんだなと最初は少しがっかりもしましたが、
これは新しい究極の格闘技ができる進化の過程なんだと、メチャクチャ刺激的でおもろいなあと。
ターザン山本:時代の最先端。格闘技という新しいムーブメントだったからね。そういう解釈でいかないと。

館長:学校でもプロレスに偏見もってるやつが多くて。八百長ってバカにするやつが多かったけど。
それに負けない堂々と誇れるものを前田日明は作り上げようとしてるんだと(笑)
目指しているものは夢の格闘技だと。当時夢枕獏さんなんかもよく書いてましたが、もう一歩先へ進めと。
それに呼応するようにUコスモスがあり、リングスができて、正道会館で格闘技オリンピックもはじまり、どんどん時代が動いていると。
これは自分も観るだけじゃなくやりたいなと。
そこでなんとなく入ってしまったテニス部から、体を少しでも鍛えられそうな陸上部に入り直し、後は自分の部屋で入門書を読んで、スクワットしたり、電気の垂れ下がったヒモを蹴ったりして(笑)、一人稽古はじめたんです。

そして高校生になった頃、プロレス好きな友だち達と集まって、
「リングス千里山」っていうのをつくったんですよ。もちろん前田さん非公認です。

ターザン山本:リングス千里山!?ニュータウンがある街じゃないですか。

館長:はい。地元ですね。僕は大阪の千里山生まれ、千里山育ち、千里第三小学校出身なんで。
で、仲間の一人に寺の息子がいたんで講堂の広間が使えたんですよ。そこに敷布団をしきつめて、

ターザン山本:マットにしたんですか?マットプロレスの走りじゃないですか。

館長:(笑)、で好きな曲をカセットテープで持ち寄って、ラジカセを押してもらい、ふすまを自分で開けて入場する(笑) 
それぞれリングコール受けて、数人しかいない観客に向けてカッコつけてジャンパー脱ぎ捨て、前田日明ばりに相手とメンチ切ったりしてね(笑)

それで、ガチンコの勝負をすると。
ルールは顔面掌底だけなしのリングスルール。指が目に入るのは怖かったんで。
素手素足、ファールカップもなしで、ゴングと同時にド素人がめちゃくちゃに蹴りあい、殴り合い、関節をとりあうという。

最初は自信満々すぐ倒せるとおもって、思いっきり蹴っていくんですが、いくら蹴ってもなかなか倒れてくれないし、逆に蹴った方がガードされてすんごく痛い。
当初30分一本勝負で始めたんですが。数分ですぐお互いスタミナ切れるし、全身あざだらけ、突指するし、特に脛を鍛えてないので、脛や足首がたんこぶだらけ。
グランドになったらアキレスやヒールホールドを狙うけど、すぐ膠着して、ヴォルク・ハンのように変化して動けない。布団の外までのロープブレイクさえ、なかなかできない。
投げは遠慮なく全体重を浴びせて落とすので、投げられた方は一発で呼吸がとまり試合がそこでストップとか。一回戦をやったら、勝った方も負けた方もほぼ全員満身創痍になってもうできない。それぞれ足引きずって帰る。満面の笑顔でですけどね。

ターザン山本:むちゃくちゃじゃない。でも楽しかったんだ。

館長:でもやっぱり、開催は毎週は無理。2週に一度か、月一にしとかなアカンな。スネサポとファールカップは絶対いるな。俺たちには試合時間30分は長すぎるな。そういう感じで、体験を通して素人ながらみんなでルールを改善していくのが、それも当時のリングスっぽくて楽しくてね。

でも、毎回あまりにもデンジャラスで怪我が絶えないので。やっぱりこれは、そろそろどっか道場いってキチンと格闘技、習った方がええんとちゃうかいう真っ当な結論になったんです(笑)

ターザン山本:ククク(笑)

館長で、阪急電車で20分くらいのところに正道会館の総本部道場があったので、みんなで見学にいったんです。そこに通おうと。

ターザン山本:正道会館、天満にありますよね。駅のすぐそば。

館長:で、友達は何人か入門するんですが。私はここでも親が許してくれなくて入れなかったんです。未成年が入門するには誓約書に親のサインが必要だし、月謝の自動引き落としの登録もしないといけなかったので。
親は「そんな野蛮なもん、頭殴られて、アホになるからやめとけ」と。これは心底ガッカリしました。
高校生になってまだ束縛されるのかと。

ターザン山本:うん。

館長:で、そうこうしているうちに高3になって。。。


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